作品紹介 「Fans」 「’S’ For Spiral」「Summer Time」河野浅八
河野浅八は、1876年熊本県宇土郡大見村(現在の宇城市不知火町大見)生まれ。21歳で単身渡米し、ロサンゼルスで写真材料店を営みつつ写真技術を磨きました。
その後30年ほど足跡不明の期間がありますが、1930年前後からは欧米のコンクールで数々の素晴らしい賞を受賞し、経済的にも成功したことが分かっています。その作風はピクトリアリスムの系譜に連なる、抒情的で優雅なものでした。
1934年に帰国してからは郷里で後進の指導に当たり、熊本の写真界を大きく前進させました。浅八の指導を受けた方々によると、温厚で紳士的な人柄だったそうです。
また近年、没後50年もの時を経て、旧生家から大量のネガとアルバムが発見され、話題になりました。
若くして単身渡米するに至った背景、アメリカでの成功と足跡、カメラの師と仲間、カリフォルニアの日本人移民排斥運動の影響、凱旋帰国後の第二次世界大戦勃発とそれに対する心の内……浅八の人生には、まだまだ多くの謎が残されていますが、今後の研究成果にご期待ください。
ここでは2つの作品をご覧いただき、浅八の人生と魅力をほんの少しご紹介します。
浅八作品には面白い形の“影”がよく登場します。
本作品も扇が縦に2面並べられているかと思いきや、上の1面はなんと影。扇本体は、注意深く垂直に立てられています。“影”の存在に気づけば、途端に画面の向こうが立体的に見えてくる仕掛けです。
巧みな遊び心は、構図だけにとどまりません。扇の絵柄にもご注目ください。
下の扇にはバラが一輪。上の扇は、絵柄が見えない向きに立てられていますが、その影に目を凝らすと、背景の織物が透けています。(画像ではお伝えしきれないかもしれませんが…)まるで総柄の花模様のよう。うっとりするような優美なグラデーションです。ここでは、上下で絵柄の花の数が対比されているのです。
対比関係は、画面にメリハリをつけたり、コントラストを強調するのに役立ちます。絵画でもよく用いられる手法です。鑑賞者は、謎解き遊びのように対比を探し出し、目だけでなく頭でも作品を楽しむことができます。
影―実体、垂直―水平、多数―単数。
浅八作品の持ち味、幾重にも計算された構図がお分かりいただけたでしょうか。他にも対比が隠れているので、探してみてくださいね。
今度は、緻密な計算だけでは語れない、河野作品の抒情性についてご覧いただきましょう。
大きくカーブする階段の透かし模様が印象的ですね。タイトルも「らせんのS」とあり、河野がこの階段の美しさに惹かれて写真を撮ったことがわかります。※厳密には、ドーナツのド、レモンのレ、のような感じで「SpiralのS」と題されており、見た目のS字カーブに言葉遊びのSを掛けた洒落っ気も伺えます。
画面いっぱいにS型にモチーフを配置する構図は、浅八がよく用いるものですが、古今東西の名画にもたびたび現れる構図で、画面に大胆なリズムを生むための古典的手法です。
そしてこの作品の美しさは、構図だけでは語れません。その証に、右上の大窓や男性の姿を隠してみてください。階段装飾の美しさこそ変わりませんが、鉄の質感が前面にでて無機質に感じられませんか。作品に柔らかでいて一種荘厳な雰囲気を添えているのが、この光の加減であることがお分かりいただけるでしょう。
浅八は光の扱いにも長けており、作品にあらわれる陰影の諧調はさすがの繊細さです。光を意識しながら作品をもう一度ご覧ください。
うつむきがちに静かに階段をのぼる男性の背中は、大窓からの光を浴びて白く輝き、まるで天使か何かのようです。身なりの質素さが、いっそう清らかさを際立たせます。
彼はどこへ向かうのでしょうか。開放的な屋上か、はたまたゴルゴダの丘か…
構図だけでは、作品に物語性という奥行をもたせることはできません。繊細な光の演出が豊かな抒情を生み、見る人の想像力を刺激して心に訴えかけるのです。
幾何学的にかっちりと構成しながら、遊び心や詩情など人間的なノイズをそっと紛れこませる。この肩肘張らない抜け感によって、浅八作品は現代人の目にも瀟洒に映えるのかもしれません。
砂浜で波とたわむれる3人のこどもたち。きらめく夏の時間を切り取ったかのような一枚です。
この作品では、対角線上に波が打ち寄せています。視界から水平線を消失させて平たんな背景とすることでレースのような波の模様が強調されています。
当時の在米日本人写真家たちの間では、対角線を使ったり、パターンや陰影を用いたりして効果的な平面構図を生み出すことが好まれていました。形や光を自在に変化させる水は河野がよく扱う題材で、水面に広がる波紋や隆起する波の紐状の模様は作品に数多く登場します。
1876年 熊本県宇土郡大見村(現宇城市不知火町大見)に生まれる。
1898年 21歳のとき、単身渡米。
ロサンゼルスで写真材料店を営みつつ写真技術を学ぶ。
1927年 ピッツバーグの展覧会に出品。
1929年 サロン・フォトグラフィ(アイルランド)にクラスA入賞。
ヨーテボリ国際写真展(スウェーデン)入賞。
カメラクラフト月例写真コンテスト(サンフランシスコ)1位入賞。
カリフォルニア、サンディエゴの展覧会に出品。
アメリカ芸術写真家協会にて5ヶ所に展示。
トロントサロン、サンディエゴの展覧会に出品。
ピッツバーグ、ニューヨークの展覧会に出品。
「Three Gulls」がアメリカ写真コンペで21ヶ所展示された他、
ロンドン、パリ、シカゴ、日本、スウェーデン等にも巡回した。
1930年 第2回ロチェスター国際写真サロンに出品。
第21回ロンドンサロン・フォトグラフィ展入賞。
シカゴ国際フォトサロン入賞。
第4回国際写真サロン(朝日新聞社内全日本写真連盟主催)入賞。
ニューヨークタイムズ紙に、ベルギーのレオナルド・ミゾンネら
と並び紹介される。
1931年 シカゴ特別招待、フランスの展覧会に出品。
カリフォルニア、ロサンゼルスの展覧会に出品。
シカゴ国際写真サロン芸術協会の展覧会に出品。
第5回国際写真サロン(朝日新聞社内全日本写真連盟主催)入賞。
1932年 「Pond Fantasy」がロイヤル・サロン(イギリス)で第1席に選ばれる。
同作は議論を呼び、一躍世界に知られる写真家となる。
このほか在米中に、世界でも一流といわれるアメリカ、パリ、ロンドン
などの国際フォトサロンにて300回以上の入選を果たした。
1934年 ロサンゼルスで営んでいた写真材料店をたたんで帰郷。
在熊写真家に懇願され、後進の指導にあたる。
河野浅八作品展(熊本市銀丁ホール)。
1936年 ロンドン・サロンに日本から7名8点が入選。
この中の4名5点が河野の指導を受けた熊本の写真家だった。
これが原動力となり、熊本の写真界は空前の発展期を迎える。
1943年 郷里の大見にて死去(66歳)。
1993年 旧生家から、作品アルバムとネガフィルムが大量に発見される。
河野浅八写真展(不知火町産業文化祭)。
故Mr.アサハチ・コーノ写真展(熊本県立美術館分館)。
2001年 河野浅八写真展–今甦る浅八の世界(不知火美術館)。
2016年 生誕140周年記念河野浅八写真展(不知火美美術館)。※熊本地震により開催中止
2019年 河野浅八写真展 モノクロームの幻想(不知火美術館)。
なお、戸籍名は「かわの あさはち」と読み、晩年指導した後輩らにもその名で通っているが、在米中は「こうの あさはち/アサハチ コーノ」を名乗っていた可能性があり、いずれの記録にも「A. Kono」「Asahachi Kono」の表記で名が残る。
おそらく欧米社会に溶け込む工夫のひとつとして、発音してもらいやすい音を選択したのだろう。
作者 : 河野浅八
題名 : Fans
制作年: 制作年不明
材質 : 写真
寸法 : 26×33.6cm
作者 : 河野浅八
題名 : ’S’ For Spiral
制作年: 制作年不明
材質 : 写真
寸法 : 33.5×26.5cm